“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『須賀敦子の方へ』

須賀敦子の方へ』 松山巖 著 新潮文庫

須賀敦子の方へ (新潮文庫)

 自分が須賀敦子という作家を知ったのは、2000年を越えてからだったと思う。1998年に亡くなっているので、ある意味で、間に合わなかった、もしくはすれ違いになった作家である。

 

 本作は、評論家・小説家である松山氏による、須賀敦子の評伝である。没後20年に合わせての文庫版だったようだ。

 須賀敦子という作家が『ミラノ 霧の風景』を発表した時点で61歳だったそうなので、かなりの遅咲きと言えるだろう。しかし、発表当時から、かなりの注目を浴びていたようだ。亡くなった後それほど間を置かずに全集が刊行され、そこに付された年譜は200ページに及んだという。

 所謂文豪と称されるような作家、夏目漱石森鴎外などといった大御所ならば、研究対象とされることも珍しくはないし、膨大で詳細な年譜が作られたりもしているであろうが、90年代の終わりに亡くなった比較的新しい作家としては、異例のことではなかろうか?

 その年譜を作成したのが、ほかならぬ松山氏である。本作でも、松山氏は、須賀敦子の生涯の節目節目に関わる国内の土地へ実際に足を運び、丹念に、その足跡を拾っている。

 

 須賀敦子は、50代から翻訳家として、また50代の後半からは随筆家としての活動を始めてはいるようなので、活動期間は10年足らずとするより、もう少し長いとすることもできるが、いずれにしても、そこまでの人生はかなりドラマチックだ。

 相応しい言葉であるか微妙ではあるが、良くも悪くも“上級国民”であった女性で、戦時下にカトリック系の女子高で非公認ながら密かに続けられていた英語教育を受け、戦後すぐに新設された女子大へ入学、さらにはフランスへ留学を果たしている。もっともフランスには馴染めず、イタリアへと渡ることになる。

 この辺の経歴は、同じカトリックを信仰していた遠藤周作と被る。ともに神戸に縁があり、どうも、遠藤氏の母である遠藤郁が小林聖心で音楽を教えていた時期と、須賀敦子が小林聖心に通っていた時期が重なっているようなのだ。本作では、なぜか触れられていないのであるが。

 イタリアのミラノでコルシア・ディ・セルヴィ書店に勤務し、ここで伴侶を得て、日本文学作品のイタリア語訳に取り組むも、結婚6年という短さで夫が病死してしまう。結局、日本に帰国し、大学でイタリア文学の研究をしつつ講師として働き、その後に翻訳家、随筆家としての活動へと入っている。

 

 須賀敦子の作品はイタリア滞在時の逸話を基にした内容が多く、必然的に昔語りなのではあるが、静かで、ゆったりとした、それでいて退屈さを感じさせない文である。同業者である作家たちの中にもファンが多いようだ。

 ひょっとしたら、今後も、須賀敦子をテーマとする評伝・研究が出され続けるかもしれない。個人的には、彼女が遠藤周作をどう読んでいたのか? を知りたいと思う。有名な作家にありがちな破天荒さは無いが、1人の人間として興味深く、魅力的なのだ。それだけに、まだお元気であっただろう頃に知っていたら、と悔やまれる。