『世界を、こんなふうに見てごらん』
『世界を、こんなふうに見てごらん』 日高敏隆 著 集英社文庫
動物行動学の研究者である日高先生。2009年11月に亡くなられているので、一連の新型コロナ感染拡大はもちろん、2011年の状況も見ずに逝ってしまわれたのであった。
今福道夫先生の解説によると、この本は、一般向けに書かれた著作としては、事実上の最後の本であるようだ。
今、この本を読むと、日高先生は、かなりの危機感を持っていたのではないかと推測される。何回も、“科学的”という言葉によって無批判に盲信してしまうことへの警告が書かれているのだ。
しかしぼくは、科学もひとつのものの見方にすぎないと教えてくれるいくつかの書物に早く出会えて、ほんとうによかったと思っている。
おかげで科学によって正しい世界が見えると信じ込む人間にならずにすんだ。
論理的に説明ができることと、それが正しいことであるということは、別なのだ。
自然には人間がわかっている以上のたくさんの変数があり、自然をいじってダメにすることはできるけれど操ることはできない。
ちょうど、何も知らない素人が、電車を止めることはできても、電車全体を運行させることはできないように。
自然を動かしているシステムはもっと複雑だ。
日高先生は、具体的には、サナギの色が緑色になるか茶色になるかは何で決まるか、という研究について書いているのだが、この内容を見るだけでも、自然界での事象というものは思いもよらない条件が多数、複雑に組み合わさっていることが窺い知れる。
よく、「想定外」という言葉が揶揄されるが、そもそも自然は、人間に想定できるようなレベルで都合良くできてはいないのだ。
新型コロナウイルスに振り回された数年間であったが、今もって、この世に“正解”を知っている者などいない。ある程度の経験則以上のものが判明するのに、きっと数十年単位の年月が掛かるのだろう。何と言っても、人間が制圧できた(ということになっている)感染症は現時点で天然痘のみなのだから。どこかで、諦めることも大事なのかもしれない。
人間の認識する世界はそういうものだと受けとめるいいかげんさがないと、逆に人間はおかしくなるのではないか。
かたわらにいつも、これはイリュージョンだという悟性を持つこと。
ゆらぎながら、引き裂かれながら、おおいにイリュージョンの世界を楽しめばいいと思うけれど、結局はさじかげんなのだと思う。
肝心の、ちょうどいいさじかげんが難しいのだけどね。