“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『まあまあの日々』

『まあまあの日々』 群ようこ 著 角川文庫

まあまあの日々 (角川文庫)

 『本の雑誌』の目黒考二氏が1月19日に肺癌で亡くなった。目黒氏はジャンル別にペンネームを使い分けていたのだが、その1つが「群一郎」であった。で、本の雑誌社で事務職をしていたのが群ようこペンネームの「群」がのれん分けとして譲られたという。

 

 この人のエッセイは、たびたび読んできているのだが、変わらないなあ、というのが率直なところだ。

 ずっとボヤいているのだ。

 そもそも年齢不詳な文で、自分が読み始めたころには既に“おばさん”文であったが、そこから今に至るまで、同じ調子で“おばさん”で居続けている。そして、ボヤいている。ただ、ポジティブな文は書かないのに、読み手をさほど落ち込ませることもない。

 身の回りで起こったありがちなトラブルをネタに、いつも、困ったねえ、と傍らの猫といっしょに顔を見合わせているような感じで、あまり後に残らない。

 

 以前、これなら自分にも書けそうと勘違いをした人たちから嫌がらせのような手紙を送られていたらしいが、このスタイルでずっと書き続けている安定感は貴重だろう。本の雑誌社の関係者もだが、対談相手になったり交流があることが窺える作家を思い浮かべると、個性的でやや破天荒なイメージの人物が多いのに、群ようこ自身は普通の人っぽい。

 たぶん、とことん人が好きなんだろうなあ、と思う。

 ボヤきはするけど、他人への好奇心は抑えられない。不満を感じることはあっても、余程のことがなければ、切り捨てたりはしない。仕方ないなあ、で許してしまう人なのではないかと感じるのだ。嫌な空気を中和してしまえる才能のようなものがあるのではないか?

 

 文には書き手の性格が表れると思う。ネガティブな内容だと、怒りにまかせて、下手をすると読み手の気分が悪くなるような文にもなりそうだが、群ようこの書く文は絶妙なあんばいでそれを回避している。ずっとボヤき続けているけれど、目線はやはり優しい。凡庸で普遍的に見えても、こんなに長くボヤき続けることができている書き手は、他に思い浮かばない。