“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『ヴァイオリン職人の探求と推理』

『ヴァイオリン職人の探求と推理』 ポール・アダム 著 創元推理文庫

ヴァイオリン職人の探求と推理 (創元推理文庫)

 技術の進歩とともに新しいもの、より高度な機能を持ったものが作られ続けている。となれば、古いものは老朽化という避けようもない劣化を経て、価値が下がってしまうのが通常のように思う。

 しかし、ものによっては、作られた当時や価値を見出される前では信じられないほど価値が高騰したものもある。むしろ、今では製作技術が忘れ去られてしまったり材料が入手困難になってしまったりで再現することが難しいものの場合は、値段を付けることすら難しいものとなるだろう。たとえ再現可能だとして、天才的職人の手から生み出されたオリジナルは、歴史の中で失われていくことはあっても増えることはない。

 

 ヴァイオリンという楽器も、そんな側面をもつ。

 音を奏でる道具でありながら、あまりに高級品となってしまったために有名なヴァイオリンが、残念な状況を引き起こしてしまうこともあるようだ。

 本作では、冒頭で1人のヴァイオリン職人が殺されてしまう。

 殺された職人の幼馴染のヴァイオリン職人と、年齢は離れているものの友人であった刑事が、事件の謎と失われたはずのヴァイオリンを追ってイタリアとイギリスを舞台に活躍するミステリである。

 ストラディヴァリ、グァルネリ、アマティなどなど、高級楽器と練習用楽器の演奏の聴き比べをさせるバラエティ番組でもお馴染みの名が登場する。それらの歴史、高級楽器の取引の裏側、贋作といった怪しげな話が加わって、殺人事件の捜査だけでなく、骨董品探しの要素も面白い。

 

 それにしても、250年以上前に作られたヴァイオリンが最高傑作(フィクションの設定ではあるが、現実世界でも十分あり得る話)とは考えさせられる。職人の世界では珍しいことではないのかもしれないが、自分の時代には最高のものが生まれないであろうと感じてしまうのは虚しくないのだろうか? それとも、今作っているものが遥か未来で評価されるかもしれないと淡い期待は持ち続けていくのだろうか?

 そして、道具は使われてこその存在のはずなのだが、使われた形跡がないことで価値が上がるという矛盾を思うと、複雑である。

 コレクターやバイヤーの世界も闇深い。こういう人たちが存在するから古い価値あるものが残るという一面もあるから、全否定することもできないのだが。