“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『イギリスだより』

カレル・チャペック旅行記コレクション イギリスだより』 カレル・チャペック 著 飯島周 編訳 ちくま文庫

イギリスだより―カレル・チャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)

 カレル・チャペックというと、『ロボット』。

 それぐらいしか思い浮かばなかったが、この本を買って“積読”にしておいたのは、やはりイギリス本だからだろう。

 

 巻末の「訳者あとがき」を読むまで、そもそも、このイギリス旅行がどういうものなのか、よく分からなかったのだが、まさに『ロボット』絡みなのだった。

 1920年末、プラハの『ナーロドニー・リスティ』(国民新聞)を兄ヨゼフとともに退職したチャペックは、翌年1月初演の戯曲『ロボット』によって、一躍、国際的名声を得た。

 その結果、1924年にロンドンで開かれた国際ペンクラブ大会に招待されることになり、たまたまロンドン郊外のウェンブリーで開催中だった大英博覧会の取材も兼ねるという名目で、同年5月27日から7月27日までの2ヵ月間、最初にして最後のイギリス旅行を行った。

 この旅行中の、イギリスおよびイギリス人観察記(原題はAnglicke listy)は、原稿としてプラハに送られ、新聞連載のかたちで発表され、好評を博した。

 

 チャペックはイギリス滞在中に、様々な場所を訪れたようで、例えばロンドンを始めとするイングランド地方では、ハイド・パーク大英博物館、ウォーレス・コレクション、テイト・ギャラリー、マダム・タッソーの蝋人形館、サウス・ケンジントン博物館、ナショナル・ギャラリー、動物園、キュー・ガーデン、そして大英博覧会といった、当時のイギリスの輝かしい場はもちろんのこと、イースト・エンドの貧民街までも足を運んでいる。

 チャペックは、イギリスびいきだったらしいが、マイナス面も見逃さず、記録として残しているのだった。

 

 エディンバラやテイ湖、湖水地方の美しい景色を堪能しつつ、「羊への巡礼」、「牛への巡礼」、「馬への巡礼」などと書いてしまうところが面白い。特に馬にはスケッチブックを食べられそうになったというハプニングまで、むしろ楽しんでいる様子が窺われた。

 

 また、このイギリス旅行中、H・G・ウェルズバーナード・ショーらと親交を結ぶことができたようで、似顔絵まで描いている。

 この似顔絵がなかなかユニークであった。

 

 総じて、楽しいイギリス旅行だったのだろう。

 しかし、最後に載せられた「イギリスでのラジオ放送用演説」は1934年のもので、イギリス旅行時の想い出を語りつつ、ナチス・ドイツの台頭と祖国チェコへの侵攻を危惧したチャペックの、イギリスへのメッセージ・連帯の望みを締めの言葉で表しているのだとされている。

 カレル・チャペックが亡くなったのは、1938年末。その約4か月後にナチス・ドイツプラハを占領した。そして、兄ヨゼフ・チャペックは、1945年4月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなったそうだ。