“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『心理療法個人授業』

今週のお題「かける」

 本棚に入りきらないほどの“積読”をどうにかしなければならない。

 というわけで、今年は“積読を”優先的に読み整理しようと決意した。ついでに記録も付けてみようということで、1月の途中から、はてなブログを始めてみたのだが、毎週お題が出されているらしいことに気が付いた。

 それなら、お題に関係しそうな本を“積読”から選んで読み、記事を書いたらいいのではないか?

 

 そんなわけで「かける」なのだ。

 いつからなのか、コラボレーション、略してコラボという言葉をあちらこちらで見かけるようになった。別々の分野の人同士、違う組織同士などによる共同作業、共同開発商品などだ。例えば、コンビニでキャラクター商品を限定販売する場合、キャラクター×ファ○リーマートといった感じ。「×」という記号が使われる。

 ちなみに、この「×」という記号をコラボレーションの意味で用いるのは日本だけらしい。なので海外では通じないとか。

 “積読”の中に見つけたコラボは、次の対談本である。

心理療法個人授業』 先生=河合隼雄 生徒=南伸坊 共著 新潮文庫

心理療法個人授業(新潮文庫)

 この本は、南伸坊の個人授業シリーズのうちの1冊。

 「心理学」は本当に科学なのか? 

 「心理療法」と「精神分析」の違いは何か?

 微妙でふんわりとしたイメージの心の問題。それを河合先生と南氏が対談形式で分かりやすく説いている。より正確には、対談後に南氏が「レポート」を書き、それに対して河合先生が「コメント」を付けていくという形なのだが、専門外であるはずの南氏の洞察力の高さがこのシリーズの核となっている。

 まず、最初の方で、「心理学」の誕生と歴史の流れをかなり大雑把に簡単に辿っているのだが、ガイダンスやカウンセリングとの繋がりも含めてスッキリと纏められていた。

 そこから徐々に、心理療法の「ややこしく」て「コワイ」部分が踏み込まれていく。

 読み進めていくと、いろいろと思い当たることがあった。

 大阪で、放火によって精神科医とそのオフィスに通っていた患者さんが大勢亡くなった事件があったが、それは、「心の問題に対する治療」が根源的に危険を有しているからに他ならない。治療の段階で生じてしまう「人間関係」は非常にデリケートで、距離感を違えてしまうと「裏切られた」という感情が生まれてしまう。つまり、最初から割り切って距離を取り、薬だけを出すタイプの精神科医であったなら、あの事件は起きなかった可能性が高い。被害者が、ぎりぎりの距離感を探るような“患者思いの熱心な先生”であったからこそ、起きてしまった事件なのだ。

 男の治療者っていうのは、自惚れててね、自分が好かれていると、思いたがるんですね。女の治療者は、その辺が、ものすごく微妙にわかっていて、べつに男のクライアントから恋愛なんかしてほしくない。

 男は、何でもいいから、できるだけたくさんの人に愛されたい(笑)。錯覚が起こりやすい。これは僕の考え方です。

 

 実際、男性医師の方が女性医師よりも優しいというか、「いいカッコしい」で面倒見が良い印象がある。精神科医は専門家であり、距離感に関しては常に気を付けてはいるのだろうが、患者側が勘違いしてしまう事も時に起きてしまうのだろう。

 

 良い意味で緩い感じの、マジメになり過ぎない読みやすい本であった。

 そして、おまけとして入れられていた部分なのだが、ネット社会の便利さは実は享受するために相当の努力を要求するものである、とされていて、昨今の炎上騒ぎや迷惑動画騒動を考えるに、2004年、つまり20年近くも前にこうした警告が書かれていたことに、唖然とするのだった。