“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『京都、オトナの修学旅行』

『京都、オトナの修学旅行』 赤瀬川原平 山下裕二 著 ちくま文庫

京都、オトナの修学旅行 (ちくま文庫)

 自分は、なぜか中学、高校どちらの修学旅行も関西だった。

 中学の時は普通に奈良・京都。

 高校の時はグループ行動で門限時間までに宿泊場所へ辿り着ければよいというアバウトなルールではあったが、その宿泊場所が奈良・京都だった。あらかじめ公共交通機関の時刻表等を取り寄せてグループの行動プランを作る“予習”の時間が設けられていたし、モデルプランも提示されていたが、放任主義な高校で、時代的にもおおらかだったことから、“予定通り”の行動にならないグループが続出した。

 朝食と夕食は宿泊場所で出されるものを食べるのだが、昼食はグループごとの自由行動時間内に許可された金額内でということになっていたため、良さげな店に入ってみたら予想外に高いメニューばかりでアメリカンコーヒーを1杯ずつ頼んだとか、私鉄が多いのと車両の表示が地元と違うことで混乱し乗り換えに失敗したとか、そういうハプニングのみならず、最初から寺院仏閣より「餃子の王将」など地元に無い店をまわることを目当てにしていたグループもあったし(担任にはもちろん内緒だ)、適当なプランを提出しつつ関西大好きな国語教師に目を付けておいて、当日その場でガイド役を押し付け穴場めぐりを強行したグループもあった。

 なんとなく有名な東大寺清水寺だけは行っておこうというグループも多かったが、あえて聞いたことがないような寺ばかり選んだグループも少なくなかった。実は自分のグループもこれぞ王道の修学旅行先というのを外しまくったのだった。東大寺法隆寺も中学の時に行ったし、金閣寺は行ったことがなかったが、「だって焼けちゃったんだろ」ということでパスした。

 

 この本では、赤瀬川氏と山下氏が、京都における王道の修学旅行先をめぐっている。

 とにかく京都修学旅行は、ぜったいにオトナになってからがお勧めである。(略)誰でも、「京都、オトナの修学旅行」を実行してみれば、ああ子供のときの修学旅行はもったいなかった、ただぞろぞろ歩いただけで、と思うはずだ。(略)西洋の作品には絶対性の強さがあるから、それ自体で力を発揮している。でも日本の作品は、それ自体では出てこない物が多く、見るものが気持の上で近寄って行ってはじめて見えてくる。

 ということで、金閣、二条城、東寺、高台寺円徳院清水寺京都御所桂離宮平等院銀閣、樂美術館、待庵、嵐山を修学旅行しているのだが、取材ということで一般人では無理な所にも入っている。ズルい。

 自分も、オトナの修学旅行をしてみたい。特に桂離宮と待庵は行ってみたいと思った。あと、知識のある人と一緒にまわるのは大事そうだ。山下氏のような専門家とまわれる機会は滅多にないが。

 それにしても、赤瀬川氏が亡くなったのは2014年。時が経つのは、つくづくはやい。