『スペイン旅行記』
『カレル・チャペック旅行記コレクション スペイン旅行記』 カレル・チャペック 著 飯島周 編訳 ちくま文庫
文庫版カレル・チャペックの旅行記シリーズの第3弾、舞台はスペインだ。
1929年10月のスペイン旅行ということで、そのスタートはドイツ。ドイツからベルギー、フランスを経てスペインに入る国際急行列車による、時間のかかる旅。チェペックは寝台車の二段ベッドで上段へ到達するのに、だいぶ苦労したようだ。ユニークなイラスト付きの文ではあるが、かなり困惑した様子が窺える。
おそらくスペイン旅行は、母国チェコの新聞の連載のための取材旅行だったと考えられ、スペイン国内のほぼ全域を周遊するという、かなり羨ましいもの。
ディエゴ・ベラスケス・デ・シルバ、エル・グレコ、フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス、ホセ・デ・リベラ、フランシスコ・デ・スルバラン、バルトロメ・エステバン・ムリーリョといったスペイン絵画の巨匠の作品を堪能し、各地の風景、街、料理に酒、庭園、建築などに言及している。
その中で、闘牛は、ことさら印象に残ったようだ。数多いイラストが添えられ、詳細な描写が続く。結局のところ、最終的には、あまり良い印象を持てなかったようなのだが、終始、違う文化に対しての敬意と好奇心を失わない姿勢を貫いて、その観戦記を結んでいる。
スペインの地方主義、多様な文化に対し、分裂の危機感よりも協調の希望を見ていたのは、チャペックらしいと思う。
『チェコスロヴァキアめぐり』
『カレル・チャペック旅行記コレクション チェコスロヴァキアめぐり』 カレル・チャペック 著 飯島周 編訳 ちくま文庫
以前に取り上げた『イギリスだより』と同じシリーズとして文庫版が出されているが、あちらは1回のイギリス旅行で廻った場所について母国の新聞に連載したものが主体であるのに対し、こちらはチェコスロヴァキア国内を旅行しながら連載したものではなく、発表時期もまちまちなエッセイの寄せ集め。これは、旅行記ではないと思う。
自国の読者に向けて書かれた自国内の話題であるため、同時代のチェコスロヴァキア国内では当たり前であったろうことはわざわざ言及していない可能性もあり、また、やはりプラハ以外の地名に馴染みがないこと、チェコの歴史や文化に関する知識がほとんどないこともあって、ピンとこない感じ、分かりにくい感じが否めなかった。
チャペックの生まれ故郷がチェコの方であることと、1918年、第一次世界大戦後にチェコとスロヴァキアが統一されてチェコスロヴァキア共和国(1993年1月1日にチェコ共和国とスロヴァキア共和国に分離している)になったという経緯があることから、チャペック自身もスロヴァキアの方にはあまり馴染みがなかった可能性もある。
実際、スロヴァキアに関して書かれた文は少ない。
社会批判的なエッセイも含まれていて割と硬い感じがするが、その分、著者自身と兄のヨゼフ・チャペックの可愛らしいイラストが和みになっている。
『ウイルスたちの秘められた生活』
『ウイルスたちの秘められた生活 決定版ウイルス百科』 ウエイン・ビドル 著 春日倫子 訳 角川文庫
この本は1996年に刊行された本を加筆・修正して2009年に文庫化したもの。
なので、内容は古い。
さらに、タイトルでは“ウイルス”が強調されているが、結核菌やコレラ菌といったウイルスではない病原体も取り上げられている。実は、原題は A Field Guide to Germs なので、日本語版のタイトルが間違っているのだと思う。
あるいは、当時、新型インフルエンザが問題になっていた上に、2007年にコンゴとウガンダでエボラ出血熱の大発生が起きていたようなので、わざと“ウイルス”としたのかもしれない。
ちなみに、コロナウイルスに関しての記述は、
コロナウイルスは三日もあれば呼吸管で十分に増殖し、患者は不快を感じはじめる。平均して、このかぜは一週間で治り、典型的なライノウイルスのかぜより数日短くてすむが、鼻づまりはこのほうが激しい。コロナウイルスは驚くほど宿主に再感染するのがうまく、ワクチンがたよりにならない理由の一つはそこにある。
この病原体が重要なのは病気が重いからではなく、それが始終ヒトを襲うため、鼻づまりで不機嫌になる人々がひどく多いからである。
呼吸管という訳がちょっと、どうなんだろうか? という点も含めて微妙な感じである。新型コロナウイルス(COVID-19)が登場するまでは、こんな扱いだったのだなあと思うと、ウイルスの変異の恐ろしさを痛感する。変異によって毒性が落ちてくれる分には良いのだが。
そんなわけで、この本から最新の知識を得ることはできない。
ただ、この本が面白いのは、感染症に関連する興味深い写真や図版のチョイスにあるように感じる。
細菌学者ロベルト・コッホの1903年の来日時の記念写真(夫婦で和服を着ている)とか、狂犬病のイヌに対してパニックになるロンドンの様子を描いた漫画だとか、ポリオの予防接種を受けるエルビス・プレスリーの写真だとか、よく、こんなものを見つけてきたと感心した。
『ロンドンはやめられない』
『ロンドンはやめられない』 高月園子 著 新潮文庫
著者の本業は英米文学翻訳家。
翻訳業以外にも音楽関係の記事やエッセイを執筆しているとのこと。
もともとは夫が仕事でロンドン駐在員となったことがきっかけでロンドンに居住し、20年以上になっているということらしい。
一般に考えられているような“海外駐在員の妻”。さらに盛ったキャラクターを作った上でのエッセイなのだろうが、極端というか、わざわざここまで不快感を上げる書き方をしなくても、というのが、正直な感想だ。
実際にロンドンで長年暮らしているからこその見解だったり、なるほどな考察があったりして、それなりに興味深い内容なだけに、もったいない。
特に、我が子の成功を喜ぶことができない層の話は、いまだに階級がしっかりと残っているイギリスらしい面を分かりやすく書いていたと思うし、クリスマスの前後に鬱状態になる人が多いという話は、意外な事情を知ることができた。
平成19年(2007年)に刊行された本を改題して文庫化されたものであるが、15年くらい前だと、こんな勘違いおばさん的なキャラクターの方が個性的と捉えられていたのだろうか? 本音を語っているという体の表現のつもりなのかもしれないが、釈然としない読後感が残ってしまった。
『語りかける花』
『語りかける花』 志村ふくみ 著 ちくま文庫
国語の教科書に載っていた文というのは、なんとなく覚えているものである。
中学の国語の教科書に、桜の色を染める話に絡めたエッセイがあった。桜の色というと花びらを使って染めるように思いがちだが、実際は桜の樹皮を使うということで、そのことを伝え聞いた子供たちが、染色家を招いて、地元の桜の木の樹皮で染めてみたら、期待していたような美しい薄紅色には染まらなかったという内容だった。
著者は詩人の大岡信。『言葉の力』という題だった。
長い間、その染色家の名前を失念していたが、ある時、たまたま読んだ新聞記事に件の“上手く染められなかった”桜の色の逸話が出ていて、かなり有名な染色家であることを知ったのだが、同時にその染色家・志村ふくみ氏自身もエッセイを書いているということが分かった。
この本にも、その桜の色の逸話が登場する。
染色家である故なのだろうが、色、そして花々に関するものが多く、色彩に対する鋭敏さ、豊かな感性を思わせる。複雑な家庭状況のもとに育ったようであるが、同時に、染色家であった実母の存在や、夭折した兄が画家の小野元衞であったということは大きかったのだろう。
絵画、音楽、舞踊、映画、和歌などにも言及されていて、その幅広い守備範囲には驚かされる。また、多くの芸術家との交流も窺い知れる。
さらりと何という事もないような書き方をしている部分もさすがという感じがする。
『新編 百花譜百選』
『新編 百花譜百選』 木下杢太郎 画/前川誠郎 編 岩波文庫
東京帝国大学出の皮膚科医で、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家という多岐にわたる業績を持つ木下杢太郎氏。
その木下氏が、最晩年の昭和18年3月10日から昭和20年7月27日までの間、描き続けた植物図譜が『百花譜』である。総計872点からなるという。
『百花譜』は、植物図鑑・植物画集であるとともに、歴史的資料とも考えられる。
ほぼ毎夜灯火の管制がなされていた太平洋戦争最中の東京で、描かれていたという事実を知らなければ、なぜ、あまり絵を描くのに適さない便箋を用いているのか、不思議に思っただろう。
否、実際に空襲なども間近で起こっていた状況下で、このように素晴らしい植物画を描き続けていた人物がいたということが、驚きなのである。添えられた文にも、戦時下の一端を垣間見せるものがあり、健康を害していたこともあって、悲観的な話をしたという記述もあるが、描かれた花々はどれも生き生きとしている。
戦争中でも、植物を愛でる心を失うことはなかったのだろう。
この本は100枚の絵を選んだものだが、他の772点の絵も見たいものである。
『歴史の風 書物の帆』
今週のお題「おとなになったら」
今回は、子供の日にちなんでのお題らしい。
思い描いていた「大人」になれてる? となっているが、答えは否だ。
きちんと整理整頓ができるオトナでありたかったが、今に至るまで、うまくいっていない。だから、“積読”が溢れてしまうのだ。
とはいえ、上には上がある。古書の収集家として知られている人の場合、集めるのも大事だが整理も大変そうだ。
『歴史の風 書物の帆』 鹿島茂 著 小学館文庫
古書のコレクターで有名な鹿島氏による書評を集めた本である。
鹿島氏は仏文学者であるので、当然ではあるが、フランス関連の本が多い。
その中でも、パリを舞台にしたもの、パリに関する本が多いようだ。書評ということは、仕事として依頼されて読んだ本である可能性も高いので、ますますフランス関係の本が集まるのではあろうが、パリは話題に事欠かない都市ということなのだろう。
以前に読んだ鹿島氏の著作の内容に重なる本のタイトルも結構あり、こういう本を読んで、興味深いエッセイを書いているのだな、と、なんとなく本棚の一部を覗いてしまったような感覚もする。
特に面白かったのは、文庫版の特別企画として入れられたインタビューである。
インタビュアーはご自宅に伺ったのであろう。そして実際に本棚を見たのであろう。羨ましい限りである。
ちなみに、鹿島氏も、その膨大な本の整理には手を焼いているようだ。