“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『お父さんは時代小説が大好き』

今週のお題「何して遊ぶ?」

 世の中的には既にGWになっているようだが、仕事が入ってしまったので、自分にとっては明日からがGWである。

 今回のお題は、💭GW、何する?、ということなのだが、遊ぶというより、久しぶりに実家に帰るということがメインで、その道中はやはり読書をして過ごすことになると思う。新幹線と在来線で半日以上は費やしてしまうので、何冊か持っていく予定だ。

 そして、荷物になるので、薄い本が良い。

 

 “積読”の中にあったおそらく最も薄い文庫本が、

『お父さんは時代小説が大好き』 吉野朔実 著 角川文庫

『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』 吉野朔実 著 角川文庫

の2冊である。

お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き (角川文庫)

 この2冊は、『本の雑誌』に連載されていた「吉野朔実劇場」を纏めたものを文庫化した本である。確か、これ以降の本も刊行されていて、全部纏めた本も出されているはずだが、それは未購入である。

 そして、2016年に、57歳という年齢で突然亡くなってしまったためか、文庫化されたのは2冊のみのようだ。

 ちなみに『お父さんは~』の方の解説は、今年1月に逝去した目黒考二氏が書いている。そこで目黒氏は、“吉野朔実さんの漫画を読んだことがない”と書いているのだが、その後読んだのだろうか?

 自分は、この書評エッセイ漫画以外は読んだことがない。

 申し訳ないのだが、なんとなく、本来の作品である漫画の方は、手を出しにくい。

 書評が面白かったし、そのイメージの方がいまだに残っている。もっと長生きして、長く書評を続けていて欲しかったと思うのである。

『将軍たちの金庫番』

『将軍たちの金庫番』 佐藤雅美 著 新潮文庫

将軍たちの金庫番 (新潮文庫)

 この本は平成元年、つまり1989年に刊行された『江戸の税と通貨』を改題して2008年に文庫化されたもの。

 著者は、歴史経済小説を続けて執筆していた時期があり、その関連資料を10年近く漁っていたという。

 江戸時代の経済と取り組んでいて、つねに気になったのが銅と長崎である。銅と長崎を知らずして江戸時代の経済は語れない。あるときそう悟ったのだが、もちろん道案内をしてくれる専門書などというのはなく、途方に暮れてしまった。

 世界遺産登録された石見銀山のことがあったので、なんとなく、日本がかつて銀輸出国であったことは、薄っすら記憶の隅に残っていた。石見銀山の最盛期は戦国時代後期から江戸時代前期で、その頃、日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるとか。

 しかし、鎖国後に長崎のみが貿易の窓口になった頃には、日本の金銀産出量は急激に細ってしまったという。その代わり銅が大量に産出するようになったため、オランダ人や中国人相手に銅を輸出していたのだそうだ。

 今の、小資源国としての日本を思うと、歴史的に金属資源の輸出国であった時期があるというのは、なんだか不思議な感じすらする。

 

 そして、著者の言うところの「官府の印理論」は、むしろ現代では当然のようになっている通貨の認識が、当時はかなり特殊であったらしいこと、政府の刻印を打つことによって3倍の価値を与えてしまうという“錬金術”は、世界でもあまり例が無かったということ、さらには、そこまで高度な経済政策を行っていたはずの江戸幕府なのに、きちんと理解していたのがほぼ長崎の地役人だけであったというのも驚きである。

 

 いずれにせよ、狙って行ったわけではないのに上手くいくこともあれば、一見良さそうな感じなのに大失敗に終わることもある。

 誤解や認識違いが、経済や歴史を大きく動かすこともある。

 興味深い内容であると同時に、経済政策とは難しいものだと感じる本だった。

最近見つけた良動画

お題「楽しみにしている動画」

 自分で作ったお題なのだが、このお題はあまり面白くなかったようだ。

 5月26日までの期限とはしているが、今のところ、誰も書いていない。

 

 仕方ないので、2月以降に見つけた良かった動画について、ほぼ個人的な覚え書きとして残しておくことにする。

 

【テラダセンセイのISU is More】シリーズ


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 『武蔵野美術大学 美術館・図書館 Musashino Art University M&L』という動画チャンネル内の『2022「みんなの椅子 ムサビのデザインⅦ」』という再生リストから、まとめて見ることができる。テラダセンセイこと、建築家・デザイナーの寺田尚樹氏による椅子解説動画。

 なんでも武蔵野美術大学はモダンデザインの椅子を収集しているらしく、所蔵数は400脚を超え国内有数の規模を誇るとのこと。

 実物を前にしての解説は、もっと多くの人に知られてもいいと思う。椅子に興味がある人にお勧めである。

 

【Architectural Magazine 建築動画】シリーズ


www.youtube.com

 『Architectural Magazine』という動画チャンネルは、日本国内の名建築を訪ねて撮影し、既に90本を超える動画を公開している。

 静かなBGMが付けられ、必要最小限の字幕。

 人の少ない時間を狙って撮影されているようで、不思議で独特な雰囲気の建築探訪となっている。

 建築家ごとの再生リストもあり、安藤忠雄氏、谷口吉生氏、隈研吾氏、黒川紀章氏、丹下健三氏、伊東豊雄氏、磯崎新氏、坂茂氏、その他にまとめられている。日本のモダン建築が好きな人にお勧めである。

『フィンランドは今日も平常運転』

今週のお題「盛り」

 今週のお題は、話は盛って書いてもいいですよ🌳、ということで、やや大袈裟な表現をするような「盛り」について書くべし、ということらしい。

 

 意図的に大袈裟に書くのはあまり褒められたことではないと思うが、往々にして、典型的な存在というのは安心感を持って歓迎されるという側面もあったりする。

 そういう傾向は、いつの時代にも、どこの地域でもあるように思う。その表れとしてエスニックジョーク 、つまり、ある民族の民族性、もしくはある国の国民性を端的にあらわすような話によって笑いを誘うジョークがある。

 

 一般的に正しいと信じられている国民性や民族性。

 しかし、本当なんだろうか? 実際に現地で暮らす人から見たらどうなのだろうか?

 

 というわけで、“積読”から選んだのは、

フィンランドは今日も平常運転』 芹澤桂 著 だいわ文庫

フィンランドは今日も平常運転 (だいわ文庫)

 著者は、冒頭の「はじめに」において、海外旅行中にフィンランド人を見分けることは簡単だと述べている。そして、フィンランド人の特徴をいろいろと挙げているのだが、一方で、

 ガイドブックなんかを見ると、フィンランド人はシャイで内向的、お酒の力を借りて陽気になるが普段は誠実で親切な人々、などと書かれていることが多い。しかしそれらの特徴にぴったり当てはまる人などいないだろう。

と、書く。

 日本ではメディアの影響もあって、教育水準が高く、社会保障制度が整っている上に、自然に恵まれた幸福度の高いキラキラしたイメージの国という捉えられ方がされていることも多いが、そんな夢の国では決してないとしている。

 

 北欧デザインなどという言葉はあるが、フィンランドはそれほどお洒落ではないようだし、離婚率が高くて家族構成がややこしいことになっている場合も少なくないようだ。

 

 ただし、サウナ好き、というのは間違いないようだ。

『ザ・万歩計』

『ザ・万歩計』 万城目学 著 文春文庫

ザ・万歩計 (文春文庫)

 この本は、門井慶喜氏との共著『ぼくらの近代建築デラックス!』が面白かったので、買ったのだと思う。変わったタイトルの小説を書いていることは知っているのだが、読んだことはない。

 エッセイ集である。

 ちなみに、「万歩計」というのは、登録商標なのだそうだ。書名に使用することと文庫化について、山佐時計計器株式会社の承諾を得ている旨が記されていて、この事実を知った。

 

 幼少期の想い出のようなものから、学生時代、さらには社会人になって経験したこと、作家になってからのことに関する話が順不同に並んでいるのだが、総じて、家族や友人など人に恵まれている様子が窺える。

 耳鼻科医だったという祖父の話、中学時代の「技術」の授業の話、実家で飼われていた猫の話が印象に残った。

 

 あまり楽しい話ではないが、Gの話もあった。

 これまで、名古屋市営地下鉄御器所駅を過ぎる際、Gみたいな地名だとは思っていたのだが、なんのことはない、Gは、平安時代に、皿まで喰らおうとする浅ましい存在として「御器齧り(ごきかぶり)」と名付けられたらしい。

 変な知識を得てしまった。

『美しい椅子4』

今週のお題「変わった」

  今週のお題は、春は変化の季節🌸、ということで、変化や変わり種など「変わった」ことについて書くということである。

 “積読”から拾い出し、順番に読み続けている『美しい椅子』シリーズであるが、本作は第4弾。金属製の椅子を集めている。

 金属製の椅子といっても、金属だけで作られた椅子ではなく、椅子の構造材の大部分が金属、もしくは金属ならではの特徴がある椅子を「金属をつかった椅子」として扱っているのだが、金属を用いることによって「変わった」形のユニークな椅子が次々と生み出されていった流れが面白かった。

 

『美しい椅子4 世界の金属製名作椅子』 島崎信+東京・生活デザインミュージアム 著 枻文庫

美しい椅子〈4〉世界の金属製名作椅子 (エイ文庫)

 19世紀になってから、鋼管を曲げて椅子を作ることが一般的になり、それまで家具の材料の主流だった木材ではあり得なかったような構造・形態の、変わった椅子が誕生するようになっていった。

 

 まずは、アキーレ・カスティリオーニ&ピエール・ジャコモ・カスティリオーニという兄弟によってデザインされた《メッザドロ》。

 なんだこれ? という変な椅子である。

 「小作人」を意味する"Mezzadro"という名の椅子には、当時のトラクターに用いられた座面が使われているのだが、著者によると、1920年代に繰り広げられた著作権論議を背景にした皮肉が込められているようだ。

  4本脚ではなく、座面の片側だけで座面を支える片持ち式の椅子、カンティレバーチェアの生みの親は誰か? という論争から裁判にまでなったものの、「アメリカ人の乗っていたトラクターには、昔からカンティレバーの座席がついていたじゃないか」ということらしい。

 

 一本脚のおもちゃのようなステファン・ヴェヴェルカの《サイド・チェア》。体操器具のようなルネ・エルブストの《イージー・チェア》、金属かごのようなハリー・ベルトイアの《ダイアモンド・チェア》、アイスクリームコーンみたいな形のヴェルナー・パントンの《コーン・チェア》などなど、木であったなら作られなかっただろうという椅子が並ぶ。

 

 しかし、オーソドックスな形の大量生産される椅子、考えようによっては安定感のあるスタンダードな椅子もまた、鉄材を材料にすることで安価なものが手に入るようになったという点も見逃せない。

 

 個人的には、実家にあった折り畳み椅子が、新居猛というデザイナーの《ニーチェアX》という椅子であったことが分かったのが大きかった。これは、別に変った形の椅子ではないのだが、デザイナーの経歴がちょっと変わっている。剣柔道具屋に生まれたものの、GHQによって武道が禁止されてしまったことで家業が立ち行かなくなったことを契機に家具作りを学んで、椅子を作ったのだそうだ。

『イギリスだより』

カレル・チャペック旅行記コレクション イギリスだより』 カレル・チャペック 著 飯島周 編訳 ちくま文庫

イギリスだより―カレル・チャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)

 カレル・チャペックというと、『ロボット』。

 それぐらいしか思い浮かばなかったが、この本を買って“積読”にしておいたのは、やはりイギリス本だからだろう。

 

 巻末の「訳者あとがき」を読むまで、そもそも、このイギリス旅行がどういうものなのか、よく分からなかったのだが、まさに『ロボット』絡みなのだった。

 1920年末、プラハの『ナーロドニー・リスティ』(国民新聞)を兄ヨゼフとともに退職したチャペックは、翌年1月初演の戯曲『ロボット』によって、一躍、国際的名声を得た。

 その結果、1924年にロンドンで開かれた国際ペンクラブ大会に招待されることになり、たまたまロンドン郊外のウェンブリーで開催中だった大英博覧会の取材も兼ねるという名目で、同年5月27日から7月27日までの2ヵ月間、最初にして最後のイギリス旅行を行った。

 この旅行中の、イギリスおよびイギリス人観察記(原題はAnglicke listy)は、原稿としてプラハに送られ、新聞連載のかたちで発表され、好評を博した。

 

 チャペックはイギリス滞在中に、様々な場所を訪れたようで、例えばロンドンを始めとするイングランド地方では、ハイド・パーク大英博物館、ウォーレス・コレクション、テイト・ギャラリー、マダム・タッソーの蝋人形館、サウス・ケンジントン博物館、ナショナル・ギャラリー、動物園、キュー・ガーデン、そして大英博覧会といった、当時のイギリスの輝かしい場はもちろんのこと、イースト・エンドの貧民街までも足を運んでいる。

 チャペックは、イギリスびいきだったらしいが、マイナス面も見逃さず、記録として残しているのだった。

 

 エディンバラやテイ湖、湖水地方の美しい景色を堪能しつつ、「羊への巡礼」、「牛への巡礼」、「馬への巡礼」などと書いてしまうところが面白い。特に馬にはスケッチブックを食べられそうになったというハプニングまで、むしろ楽しんでいる様子が窺われた。

 

 また、このイギリス旅行中、H・G・ウェルズバーナード・ショーらと親交を結ぶことができたようで、似顔絵まで描いている。

 この似顔絵がなかなかユニークであった。

 

 総じて、楽しいイギリス旅行だったのだろう。

 しかし、最後に載せられた「イギリスでのラジオ放送用演説」は1934年のもので、イギリス旅行時の想い出を語りつつ、ナチス・ドイツの台頭と祖国チェコへの侵攻を危惧したチャペックの、イギリスへのメッセージ・連帯の望みを締めの言葉で表しているのだとされている。

 カレル・チャペックが亡くなったのは、1938年末。その約4か月後にナチス・ドイツプラハを占領した。そして、兄ヨゼフ・チャペックは、1945年4月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなったそうだ。