“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『フラ・アンジェリコ』

『フラ・アンジェリコ ー天使が描いた「光の絵画」』 ヌヴィル・ローレ 著 森田義之 監修 創元社

フラ・アンジェリコ:天使が描いた「光の絵画」 (「知の再発見」双書157)

 「知の再発見」双書シリーズの第157冊目。

 フラ・アンジェリコというのは、“天使のような修道士”という意味で、要するに、あだ名なのだ。ちなみに本名は、グイド・ディ・ピエトロ。

 

 なにもフラ・アンジェリコだけがあだ名で呼ばれているわけではなく、《ヴィーナスの誕生》や《プリマヴェーラ》で知られるボッティチェッリも“小さな樽”という意味のあだ名だ。しかも、このあだ名は、長兄が太っていて樽のような体型だったからという理由らしい。本人が太っていたのならいざ知らず、なぜ兄の体型のせいで、そんなあだ名が付けられたのか? は分からない。

 

 話を元に戻すが、イタリア人たちは本人が存命中から「ベアート・アンジェリコ」と呼んでいたらしい。これは“天使のような福者”という意味で、カトリック世界で聖人に次ぐ福者に擬えられていたということからも、画家であると同時に宗教人として尊敬を集めていたことが窺える。

 実際に福者に列せられたのは1982年11月3日。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がフラ・アンジェリコ列福し、1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定している。1455年に亡くなったとされているので、実に500年以上の月日を経て、名実ともに「ベアート・アンジェリコ」となったわけだ。

 

 画家としてのフラ・アンジェリコは、当時の優れた画家の技法を積極的に取り込み、幾何学的遠近法、光や色彩を考慮して絵を描いていた。しかし、これ自体も、神によって造られた世界を本物らしく表現するためであり、宗教的な目的が大きかったと考えられているようだ。

 

 フラ・アンジェリコは当時から人気画家で、光を表現するのに必須な金、銀、そして聖母マリアの衣装の濃い青に用いるラピスラズリなどの高価な画材を使うことが可能だったという点も大きい。

 優しい表情の聖母子、細やかな描写の植物、カラフルで明るく美しい衣装を纏い楽器を演奏する天使たち。

 “天使のような”清らかで穏やかな絵画は、実に、お金のかかる贅沢なものでもあった。

 修道士として慎ましい生活をおくっていたフラ・アンジェリコは、こと絵画制作に関しては、湯水のごとく金を費やしていた浪費家であったという二面性は興味深い。

 

 《受胎告知》をはじめとする多くの作品が取り上げられているのも嬉しい。

 有名な《受胎告知》は、フィレンツェのサン・マルコ修道院フレスコ画であるが、同じテーマの絵は複数描かれており、夜の場面として描かれた、コルトーナのサン・ドメニコ聖堂の祭壇画の《受胎告知》の存在を知れたのは、良かった。

 

 一方で、ローマでフラ・アンジェリコが制作した作品の多くは現存しないという事実は、非常に残念である。ヴァチカンの建物が建て直されたことで、今に伝わる名作もあれば、古い建物と共に消えてしまった幻の作品もある。フラ・アンジェリコの作品は後者だった。