“積読”供養

溜まってしまった本を整理するため、“積読”に目を通すことにした。その記録。

『絶滅寸前季語辞典』

『絶滅寸前季語辞典』 夏井いつき 著 ちくま文庫

絶滅寸前季語辞典 (ちくま文庫)

 この本が刊行された2010年当時は、夏井先生もそこまで有名ではなかった気がする。

 当時から、結構、破天荒なところはあったようで、カバーの著者説明には、俳句集団「いつき組」組長。となっている。

 組長……。

 

 この本も、かなり微妙な本ではある。

 最近、俳句の世界では、歳時記を見直そう、新しい季語を探そう、季節感のズレてしまった季語を修正しよう、古くなった季語を一掃しようといった議論がかまびすしい。(略)捨てるべきは捨て、入れるべきは入れ、整理をしようじゃないかという声が出てくるのはなんの不思議もない。

 要するに、使われなくなってきた季語を整理する動きがあり、切り捨てられそうな季語を「絶滅寸前季語」と呼んでいる。

 「絶滅寸前」なので、そもそも何のことか分からない季語も多い。

 それを用いて、とにかく無理やりにでも俳句にしてしまおうという試みなのだ。

 読んでも役に立たないことにかけては、右に出るものはないかもしれない。が、もともと俳句なんぞは役に立つはずもないものであって、むしろ役に立たないものとしての誇りを胸に、堂々と詠まれ続けていくのが俳句だと思っている。

 実際、「絶滅寸前季語」とその説明、まではいいとして、かなりトホホな解説と、かなりふざけた句が添えられていたりする。

 一応、著作権が切れている有名な俳人高濱虚子、正岡子規松尾芭蕉与謝蕪村小林一茶等)の作品も載せられているし、夏井先生のさすが! という作品もちゃんとあるのだが、少しふざけすぎの感がする句が多い。

 夏井先生としては、もっと多くの人に俳句を楽しんで欲しいという意図もあるのだろうが、ここまでやらないと駄目なのだろうか?

 とりあえず、夏井先生はダウンタウン松本人志氏を敬愛していた、という文が一番印象に残った。

『美しい椅子3』

今週のお題「メモ」

 今週のお題は、ふむふむ、メモメモ…📝、ということらしい。

 “積読”から拾い出し、順番に読み続けている『美しい椅子』シリーズであるが、前2冊の時にも書いたが、このシリーズ、モダンデザインの歴史において重要な多数の椅子の写真を集め、制作したデザイナーと共に簡潔な説明を付け、コンパクトにまとめたという点で、20年近く前の本でありながら今に至っても価値のあるシリーズだと思う。

 が、同時に、ミスが多い。

 文庫本171ページの本に、ざっと見て気が付いたミスをメモしてみようと試してみた。

 

『美しい椅子3 木の名作椅子』 島崎信+生活デザインミュージアム 著 枻文庫

美しい椅子〈3〉世界の木製名作椅子 (エイ文庫)

 シリーズ第3弾は木製の椅子に焦点を当てた内容となっている。木製の椅子といっても100%木だけで作られた椅子だけではなく、骨格が木製のものも集められている。

 デンマークの代表的デザイナー4人の椅子を扱った『美しい椅子 北欧4人の名匠のデザイン』、日本のデザイナー7人の椅子を扱った『美しい椅子2 にっぽんオリジナルのデザイン力』でも、多くの木製の椅子が載せられているので、一部内容に被る部分もあるが、前2冊では取り上げられなかったデザイナーの椅子を多数選んでいる。

 

 背が非常に高く独特の光沢を持った椅子《ヒル・ハウス No. 292》が印象に残るチャールズ・レニー・マッキントッシュ

 実は、自分は、この有名な椅子を知ってはいたが、直線的で左右対称な硬質な見た目から、何となく、金属製の椅子だと勘違いしていた。

 

 ヘリット・トーマス・リートフェルトの《レッド&ブルー No. 635》は、かなり奇妙な椅子である。

 1917年、オランダでは「デ・ステイル」という芸術運動が起きた。リートフェルトはその初期からのメンバーで、その特徴は、水平垂直の構造、赤青黄といった原色を用いるというもの。中心的人物ピート・モンドリアンの作品が「デ・ステイル」の平面構成であるとしたら、リートフェルトの《レッド&ブルーチェア》は「デ・ステイル」の立体構成作品と言える。

 しかし、この17点の木のパーツによる椅子は、フレーム部分は水平垂直に構成され、背もたれと座面のみ板を斜めに配置したもので、なんとなく座り心地は微妙そうな見た目だ。

 この椅子、2005年に「美の巨人たち」で取り上げられていて、番組制作スタッフも気になったのだろう、番組の最後にナレーション担当の小林薫氏が実際に座ってみるシーンが入れられていた。

 機会があったら、試しに座ってみたいと思う。

 

 マッキントッシュリートフェルト以外に、ジオ・ポンティ、フランコ・アルヴィニ、ヘンリー・ヴァン・デ・ヴェルデアドルフ・ロース、オットー・ワグナー、マックス・ビル、エゴン・アヤマンエリック・グンナール・アスプルンド、カール・マルムステン、オーケ・アクセルソン、ヴィコ・マジストレティ、ヨゼフ・ホフマン、コーレ・クリント、オーレ・ヴァンシャー、シグード・レッセル、グスタフ・スタックレー、フランク・ロイド・ライト、ジョージ・ナカシマ、アルヴァ・アアルト、チャールズ・イームス、ブルーノ・マットソン、ペーター・ヴィッツ&オーラ・ミュルガード・ニールセン、ペーター・オプスヴィック、ルド・チューエセン&ジョニー・ソーレンセン、シャルロット・ペリアン、イルマリ・タピオヴァラ、ヴェルナー・パントン、ナナ・ディッツェルが登場している。

 

 著者は、モダンスタイルの椅子のルーツを《明代の椅子》、《ウィンザーチェア》、《シェーカーチェア》、《トーネットチェア》の4つに分類しているのだが、それぞれについても解説が入っている。

 

 で、以下は、目に付いたミス。

 P24、〈カーサ・カルベッのためのアームチェア〉

 P39、Erik Gunner Asplundの表記を、エリック・Eアスプルンド

 P47、「マジストレティ」と「マジストレッティ」の2表記。統一していない。

 P128~133、「イームス」と「イームズ」の2表記。統一していない。

 P134、「マトソン」と「マットソン」の2表記。統一していない。

 P138~139、「ヴィット」と「ヴィッツ」の2表記。統一していない。

 P146~149、「ルド・テューエセン」と「ルィ・チューセン」の2表記。統一していない。「ジョニー・ソーレンセン」と「ヨニィ・ソーレンセン」の2表記。統一していない。

 P156~159、「ナンナ・ディッツェル」と「ナナ・ディッツェル」の2表記。統一していない。さらに、「現在、コペンハーゲンの中心部に事務所を構えて活動中。」という説明を書いていながら、生没年を「(1841-1918)」と表記している。気になったので、調べてみたら、正しい生没年は、(1923- 2005)。この本が刊行されたのは2004年なので、存命中の人を亡くなっているように表記した、という致命的なミスである。

 さらに、目次と年表に書かれた人名表記が、本文中とさらに統一されていないというミスもある。

 誤字・脱字のレベルでこれだけミスがあるので、本文の内容に関しての間違いも、いろいろあるのではないかと……。

 

 1つの椅子を分かりやすくするために、正面、横、後ろ、斜めの写真を並べたり、実際に使われている部屋に置いてある形での写真を載せたりで、写真の使い方はかっこいい本なのに、どうしてここまで雑にしてしまったのだろう?

 枻出版自体が潰れてしまったし、20年近く前の本なので、この本が再販される可能性は極めて低いと思われるが、もし、再販が叶うのなら、ゲラチェックはきちんとして欲しいものである。

『フラ・アンジェリコ』

『フラ・アンジェリコ ー天使が描いた「光の絵画」』 ヌヴィル・ローレ 著 森田義之 監修 創元社

フラ・アンジェリコ:天使が描いた「光の絵画」 (「知の再発見」双書157)

 「知の再発見」双書シリーズの第157冊目。

 フラ・アンジェリコというのは、“天使のような修道士”という意味で、要するに、あだ名なのだ。ちなみに本名は、グイド・ディ・ピエトロ。

 

 なにもフラ・アンジェリコだけがあだ名で呼ばれているわけではなく、《ヴィーナスの誕生》や《プリマヴェーラ》で知られるボッティチェッリも“小さな樽”という意味のあだ名だ。しかも、このあだ名は、長兄が太っていて樽のような体型だったからという理由らしい。本人が太っていたのならいざ知らず、なぜ兄の体型のせいで、そんなあだ名が付けられたのか? は分からない。

 

 話を元に戻すが、イタリア人たちは本人が存命中から「ベアート・アンジェリコ」と呼んでいたらしい。これは“天使のような福者”という意味で、カトリック世界で聖人に次ぐ福者に擬えられていたということからも、画家であると同時に宗教人として尊敬を集めていたことが窺える。

 実際に福者に列せられたのは1982年11月3日。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がフラ・アンジェリコ列福し、1984年にキリスト教芸術家の守護者として認定している。1455年に亡くなったとされているので、実に500年以上の月日を経て、名実ともに「ベアート・アンジェリコ」となったわけだ。

 

 画家としてのフラ・アンジェリコは、当時の優れた画家の技法を積極的に取り込み、幾何学的遠近法、光や色彩を考慮して絵を描いていた。しかし、これ自体も、神によって造られた世界を本物らしく表現するためであり、宗教的な目的が大きかったと考えられているようだ。

 

 フラ・アンジェリコは当時から人気画家で、光を表現するのに必須な金、銀、そして聖母マリアの衣装の濃い青に用いるラピスラズリなどの高価な画材を使うことが可能だったという点も大きい。

 優しい表情の聖母子、細やかな描写の植物、カラフルで明るく美しい衣装を纏い楽器を演奏する天使たち。

 “天使のような”清らかで穏やかな絵画は、実に、お金のかかる贅沢なものでもあった。

 修道士として慎ましい生活をおくっていたフラ・アンジェリコは、こと絵画制作に関しては、湯水のごとく金を費やしていた浪費家であったという二面性は興味深い。

 

 《受胎告知》をはじめとする多くの作品が取り上げられているのも嬉しい。

 有名な《受胎告知》は、フィレンツェのサン・マルコ修道院フレスコ画であるが、同じテーマの絵は複数描かれており、夜の場面として描かれた、コルトーナのサン・ドメニコ聖堂の祭壇画の《受胎告知》の存在を知れたのは、良かった。

 

 一方で、ローマでフラ・アンジェリコが制作した作品の多くは現存しないという事実は、非常に残念である。ヴァチカンの建物が建て直されたことで、今に伝わる名作もあれば、古い建物と共に消えてしまった幻の作品もある。フラ・アンジェリコの作品は後者だった。

『美しい椅子2』

『美しい椅子2 にっぽんオリジナルのデザイン力』 島崎信+生活デザインミュージアム 著 枻文庫

美しい椅子〈2〉にっぽんオリジナルのデザイン力 (エイ文庫)

 デンマークのインダストリアルデザイナーの手掛けた椅子を取り上げた『美しい椅子 北欧4人の名匠のデザイン』に続き、日本の7人のデザイナーの椅子を取り上げた、シリーズ第2弾。

 

 ’50~’60年代にデザインされ、市販品として販売されたロングセラーの椅子の多くと、椅子以外の業績を含めた柳宗理氏、渡辺力氏、長大作氏、豊口克平氏剣持勇氏、松村勝男氏、水之江忠臣氏の7人の解説、さらには日本のデザイナーに大きな影響を与えたブルーノ・タウトル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアン、チャールズ・イームズの4人について、コンパクトにまとめた良書。

 

 ただし、ゲラチェックが甘かったのか、間違いが目に付いてしまう残念な部分もあるのだが。

 

 日本家屋に似合う座面の低い椅子、狭いスペースに都合の良いスタッキング可能な椅子が多く、その分、海外の椅子に比べて小さく軽やかで、かわいらしいタイプの椅子が並ぶ。

 

 様々な形の椅子を眺めるだけでも楽しい本であるが、日本のモダンデザインの歴史の流れを理解するのにも役立つ本。

『美しい椅子』

『美しい椅子 北欧4人の名匠のデザイン』 島崎信+生活デザインミュージアム 著 枻文庫

美しい椅子―北欧4人の名匠のデザイン (エイ文庫)

 副題に、“北欧の”と入っているが、4人ともデンマークの椅子デザイナーである。

 デンマークで思い浮かぶのは、アンデルセンであり、ロイヤルコペンハーゲンであり、レゴブロックであり、デニッシュパンである。

 が、実は、デンマークは家具でも有名らしい。

 本書では、ハンス・J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセンボーエ・モーエンセン、フィン・ユールの4人の椅子が取り上げられている。

 

 ウェグナーがデザインした椅子は500種以上らしい。

 かなり有名なものもあり、J・F・ケネディがテレビ討論会で座った椅子もウェグナーの《ザ・チェア(PP-501)》と呼ばれる椅子。

 世界で最も売れた椅子と言われる《Yチェア(CH-24)》。

 イギリスのウィンザーチェアを元にデザインした《ピーコック・チェア(PP-550)》や《イージー・チェア(PP-112)》、《サークル・チェア(PP-130)》。

 3本脚で背の形がユニークな《ヴァレット・チェア(PP-250)》。

 モーエンセンとは友人としての付き合いもあったようで、モーエンセンの息子ペーターの名付け親となり、誕生祝いに子供家具《ペーターズ・テーブル&チェア》を贈っている。この組み立て式の子供家具が実に良い。

 

 家具デザイナーだけでなく建築家として有名なアルネ・ヤコブセン

 脚に金属パイプ、背と座面に成形合板を用いた椅子は、なんとなく学校の椅子を彷彿とさせるが、《アント・チェア》にしても《セブン・チェア》にしても曲線がお洒落だ。

 建築家としてのヤコブセンの業績についても簡単にまとめられているが、なかなか難しいタイプの人物だったようだ。

 若い時代の代表作《オーフス市庁舎》。このモダン建築を巡っては、地元の保守層と相当に揉めたらしい。伝統的な時計台を望む声に渋々同意したものの、塔の中途半端な位置に時計を付けたという話が残っている。

 ちなみに、このオーフス市はデンマーク第2の都市で、以前に取り上げた『アンデルセンください』という本にも登場していた。モダン建築が目立つ中心部と郊外のオールドタウンの比較がされていて、《オーフス市庁舎》のスケッチもばっちり載せられていた。

 

 癌性脳腫瘍により58歳という若さで亡くなったボーエ・モーエンセン

 したがって、載せられた椅子も他の3人の椅子より数は少ない。が、シンプルで暖かみの感じられるデザインの椅子は、とても座り心地が良さそうだ。

 

 そしてフィン・ユール。

 著者も書いているが、後ろ姿の曲線が美しい椅子が多い。

 当初は、デンマーク国内での評価はあまり高くなく、むしろアメリカで人気が出てから逆輸入的に評価されるようになったという。

 こういうのは日本ではよく聞く話だが、他国でも同じようなことはあるらしい。

 

gunyanyanya2.hatenablog.jp

『【図説】バラの博物百科』

『【図説】バラの博物百科』 ブレント・エリオット 著 原書房

図説 バラの博物百科

 著者のブレント・エリオットは、英国王立園芸協会所属の歴史家。

 英国王立園芸協会というのは、1804年にイギリス・ロンドンにおいて設立されたロンドン園芸協会を前身とする学会。フラワー・ショーの開催、多くのモデル・ガーデンの一般公開、園芸に関する出版を行っている。

 一時、日本支部というのがあったようなのだが、スポンサーとの契約終了で解散したらしい。

 

 で、この本は、英国王立園芸協会の管理するリンドリー・ライブラリーの蔵書からバラに関する文献や図版をまとめたもの。

 リンドリー・ライブラリーは、イギリスの植物学者、園芸家、蘭研究家であるジョン・リンドリーの収集本が基になったもので、この植物学者自身も図を描いていた。本書にも作品が載せられているが、バラの絵というと、やはり有名なのはピエール・ジョセフ・ルドゥーテ。

 写真ではなく、カラーのイラストというのが、なんともいい感じである。

 日本で出版されていた昔の植物図鑑もイラストのものがあったが、写真が並べられたものよりも見やすい感じだった。

『エッシャーに魅せられた男たち』

エッシャーに魅せられた男たち 一枚の絵が人生を変えた』 野地秩嘉 著 知恵の森文庫

エッシャーに魅せられた男たち 一枚の絵が人生を変えた (知恵の森文庫)

 この本は、1996年に刊行された『エッシャーが僕らの夢だった』を、2006年に改題、加筆、修正し、文庫化したもの。

 2006年に文庫化したのは、この年の11月11日から翌2007年1月13日まで「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」と題された企画展が開催されたからだろう。

 

 正直、改題しない方が良かった気がする。

 なぜなら、日本でエッシャーを広めた功労者として評価されるべき人物のうちの1人は河井藤江という女性だからだ。美術と建築関連の洋書を輸入販売する東光堂に勤めていた彼女が、1965年に目録の中から『The Graphic Work of M. C. Escher』という不思議な版画の載った本に目を止めた。これは売れると直感し、5冊を取り寄せたという。洋書がとてつもなく高価で貴重だった当時としては異例のことだった。

 5冊のうち1冊を購入したのが、イラストレーターの真鍋博氏。

 その真鍋氏からエッシャーの画集を披露されたのが、フリーランスの編集者だった大伴昌司氏。

 大伴氏が、雑誌『少年マガジン』の表紙にエッシャー作品を載せたことで、多くの若者にエッシャーの版画は知られることに繋がった。

 メインの話が甲賀コレクションの甲賀正治氏についてであり、甲賀氏のエッシャーとの出会いは、高校時代のバイト先のバーで知り合った横須賀基地駐屯アメリカ兵を通じてのものだったらしいので、河井氏の仕入れたエッシャーの画集から始まった縁ではないのだが、本の目利きとしてグラフィックデザイナーやイラストレーターの間で評判も高かった彼女の果たした役割は大きかったはずだ。

 

 話の本流ではないが、もう1人印象的な人物が登場する。

 それは、生命科学者の中村桂子氏。

 中村氏は、1972年にヨーロッパに出張した時、パリの街角にある版画展でエッシャーの《空と水Ⅰ》を買ったそうだ。彼女がエッシャーを知ったのは安野光雅氏の作品がきっかけだった。

 実は、自分も、安野光雅氏の絵本の元ネタがエッシャーであるということから興味を持ったので、この本の“男たち”の中に安野光雅の名が入っていなかったことには、少しばかり不満がある。

 中村氏は、職場の執務室に、同じくエッシャー作品の《メタモルフォーゼ(変容)》を飾っていた。

 エッシャーが『メタモルフォーゼ』で表現しているのは外から見た形が次々と変わるということですが、私は生物のDNAが四十億年という時間をかけて何千万の種に変わってゆく壮大なメタモルフォーゼを研究しています。ですからこの作品を眺めていると共感するんです。

 多くの人物が登場する本書の中で、この中村氏の言葉は特に響いた。

 間違いなく、エッシャーと幸福な出逢いをし、人生を共に歩んでいる人の言葉だと感じたのだ。

 

 なんだか文句ばかり書いてしまったが、本書は良書である。

 登場人物は皆、魅力的であり、その一人一人の貴重な言葉を丁寧に記録している。ともすれば金持ちの単なる道楽程度に見られがちなアートコレクションの実際について、日本の美術企画展の摩訶不思議なしくみについても詳しい。

 なぜ、地方の美術館では面白い企画展が巡回してこないのか?

 なぜ、百貨店で美術企画展が開催されるのか?

 なぜ、大規模な展覧会では、必ずといってよいほど新聞社・放送局が協賛に加わっているのか?

 

 2006年に購入してからずっと“積読”にしていたことを、かなり後悔させられたくらい、面白い本だった。